ぶっきーの超・雑記ブログ

「より良く生きる」を模索する。


「好きなことで生きていく」の痛快さと欺瞞について




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こんにちは!ぶっきーです。

 

「好きなことで生きていく」

 

誰でも聞いたことがあるであろう、某配信サービスのキャッチフレーズだ。

 

僕はこの言葉を初めて聞いた時、「こんな生き方いいな!痛快だな!」「でも、なんかイヤだなコレ。欺瞞を感じる」と思った。賛同する気持ちと、反発する気持ちが入り混じったような感覚だ。

 

この記事では僕がなぜこんな感覚を抱いたかを調べ、言語化していく。なんでそんなことをするかって?僕がそうしたかっただけだ。

 

まああえて言うなら、こうやって一度考えを言葉にしてハッキリさせておくことで、「好きなことで生きていく」という言葉を安易に信仰したり、逆に反射的に否定したりはしなくなるのではないか。

 

例えば安易にこの言葉を信じた結果、将来後悔する結果に自分がおちいらないとも限らないわけだから。「やっぱり真面目に生きていればよかった!」ってね。僕はドMじゃないのでできればこんな失敗は避けたい。

 

また「好きなことで生きていく」を実践して、ゆるくイージーに生きようとする人は最近少なくない。今までの僕ならそんな人達を目の当たりにすると「この生き方は認めたくないな」と反射的に否定したかもしれない(ニートの分際で!)。でも一度考えを深掘りしておけば、「こんな生き方も確かにありかもしれないな」と、反射的に否定することも無くなるのではないか。

 

さらに自分なりの考えをこうやって示しておくことで僕の人となりをこのブログの読者に分かってもらう効果もあるのかもしれない。「共感できないわwあばよw」って人もそれなりにいそうだけれど。

 

現代日本における奴隷解放宣言?

まず僕はなぜ「好きなことで生きていく」に賛同する気持ちが湧いたのだろう。

 

「苦労することこそが美徳」

 

世の中ではこう思い込んでいる人が(特に年配の方々に)多いように思う。僕の社会人経験を振り返ってみてもそうだった。

 

少しニュアンスが変わるが、「俺が苦労したんだから、新入社員も同じ苦労をしろや」みたいなノリの人間も僕の会社では少なくなかった。まあこれはいいとして。

 

確かに苦労することによって仕事や勉強に対する大きなやりがいが得られることはある。

 

しかし現代の日本では、「苦労するという美徳」が「労働者をいいようにこき使う」ための口実として用いられてる気がしてならないのだ。どんなにこき使われても、それに見合う報酬はもらえなくなっているのに。

 

労働者が苦労の割に報われなくなっている日本の現状については、以下の記事でも触れた。

 

www.book-buku-bucky.com

 

この構造が具現化したものがいわゆるブラック企業だろう。

 

こうやって悪いヤツらが「苦労するという美徳」を振りかざして労働者を奴隷にしている状況。こんな状況の中に「好きなことで生きていく」という新たな価値観が放り込まれたのだから、これは痛快だ。

 

「奴隷」扱いされていた労働者に「苦労する美徳以外の道」が示され、同時に悪いヤツらは労働者から搾取できなくなったのだから。現代日本における奴隷解放宣言と言っても決して言い過ぎではない。

 

だからこそ僕はこの言葉を目にして賛同する気持ちが湧いてきたのだろう。

 

人生ってそんなに単純なもの?

次に、なぜ僕が「好きなことで生きていく」に反発する気持ちを抱いたのかについて。

 

それは何か人生というものを、快楽主義の観点でしか捉えていない安易さを感じたからだ。

 

「楽しければ人生それで万事OK」のような。

 

人生ってそんなに単純なものだろうか。

 

何かイージーなやり方でお金を稼ごうとして、それで一攫千金を実現したら、後は好き放題に消費生活を繰り返す。

 

僕はそんな生き方に対して、何か人生に対する本当の手ごたえとでも言うべきものを欠いているように感じてしまうのだ。

 

念のために言っておくが、僕は他の人がそんな生き方をしていても決して否定はしない。個人の価値観の問題で、あくまで「僕が僕の人生を生きる上ではこう思う」というだけだ。(例えばあなたが今ブラック企業で働いていて死ぬほどきつい思いをしているなら、「やりがい」なんて二の次にして早く自分を解放してあげるべきだろう。その人の価値観や状況によって、どんな判断が正しいかあるいは間違っているかなんて変わってくる)

 

もしかしたら僕の場合、子供なんかができたら「人生に対する本当の手ごたえ」が得られるのかもしれないね。子供に限らず、他にも「手ごたえ」を得る方法は沢山あるだろう。この辺はおそらく人によって異なってくるところで、自分が何に「手ごたえ」を感じるのかは、なおざりにしてはいけない問題だと思う。

 

さもないと仮に大金持ちになって酒池肉林を楽しんだとしても、自分の人生を終える直前なんかに「あれ?おれ何のために生きてきたんだ?」となりそうな気がするのだ。

 

だから僕はこの言葉に対して「なんかイヤだなコレ」「欺瞞を感じる」という感想を抱いたのだと思う。

 

まとめ

まーた何の腹の足しにもならないような記事を書いてしまった。お気づきかもしれないが、僕はこんな感じで人生哲学的なコトを考えるのが好きな人間なのだ。

 

まあこの自由さも雑記ブログの良さである(最近よくこのフレーズを使っている気がするな)。ひょっとしたら誰かの何かの参考になるかもわからない。

 

おしまい。