ぶっきーの超・雑記ブログ

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東大卒元研究者が研究辞めてアフィリエイト←悲しすぎワロタ

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今回はニートが国の行く末を憂う不定期連載のギャグ回である。

 

最近、せっかく東大で博士号をとって研究の道に進んだにもかかわらず、最終的には研究をやめてアフィリエイトで稼いでるって人の話を読んだ。

 

以下の記事ね。記事そのものの趣旨はアフィリエイトについてではないのだけれど。

 

gaishishukatsu.com

 

これ読んで僕は悲しくなったよ。

 

断っておくがこの元研究者アフィリエイターの方の生き様が悲しいと言っているんではないよ。

 

研究者時代の悩みだったらしい人間関係から解放されてご本人は満足そうだし、月100~200万も稼いでるなんてむしろ羨ましくさえある。 

 

僕が悲しくなるのは「日本の頭脳たる東大院卒の研究者が、ある特定の分野を専一に極めてきたにもかかわらず、結局満足できる待遇を得られる就職先が見つけられなかった」って事実だ。

 

ここに日本の行く末が透けて見えるようで辛くなるのだ。

 

あなたはこれを少数の反例と切り捨てるだろうか。多くの博士卒の人間は、満足行く待遇を受けていると言うだろうか。

 

もしそれが正しければ「高学歴ワーキングプア」などという言葉は生まれなかっただろう。これは国による浅はかな大学院重点化が多くの余剰博士を生み出した結果生じた、実在する社会問題だ(実は僕の身の回りにもそういう人がいた。彼は気の良い、しかし自分のことになると少し向こう見ずなところがある人間だった)。

 

もちろん「ご飯を食べていきやすい分野」もあれば「食べていきがたい分野」だってあるはずで、その選択の責任は研究者個人にある。

 

さらに記事の中で言われるように、「専門的な研究者であればあるほど、研究をやめたら潰しがきかない」のも事実。

 

それならば「アカデミックな道を諦めてさっさと一般企業に就職する」という選択をせず、「研究を継続して専門性を高めていった(潰しのきかない道を進んでいった)」という責任もまた、研究者個人にあると言えなくもないだろう。

 

それでも、だ。

 

学歴主義と批判されかねない少し過激な言い方になるが、僕はこう言い切る。一定の学歴(博士卒など)を得た人達に対しては、高待遇が保障されるべきだ。仮に、最終的にその人が就いた職が自身の修めてきた専門と全く異なってもだ。国が補助金を出してでも保障しなければならない。

 

なぜなら、そうでもしなければ日本で博士を目指す人がいなくなってしまうからだ。

 

日本で博士を目指す人が居なければ日本の学問が発展しない。日本の学問が発展しないと日本の科学技術が発展しない。日本の科学技術が発展しないと日本企業は競争力のある商品が作れない。つまり商品が売れない。

 

日本企業の商品が売れないと資源の無い日本は他に外国に売るものが無くなる。結果、日本すなわち僕らの生活は貧しくなる。

 

だから国が企業に補助金を出してでも高学歴者の高待遇は保証されるべきなのだ。国の衰退を避けるために。そしてそうすれば、博士を目指す学生は増大する。ちょうど今の日本で、優秀な学生がこぞって医学科を目指すように。

 

この考えは間違っているのだろうか?これ以上ない明快な論理だと思うのだが、間違っていたらどうか僕に教えてほしい。

 

高学歴ワーキングプアや上で紹介した東大卒の人の例を見ても、今の日本はあまりにも学問を極めてきた人のことを軽んじすぎている。

 

小学校から高校までの指導要領を改訂して学習内容に対する理解度を高めることはもちろん重要だろう。しかし現行の指導要領でしっかりと知識を身に付けることができた人たちを有効活用できていない現状をなぜ放置するのか。というかそもそも上手く育て上げた人を活用する土壌ができていなければ、結局教育の意味が無いではないか。

 

本来ならば博士課程は学生が殺到する「狭き門」として、修士課程の学生の憧れの進路であるべきなのだ。今の日本では医学科が持て囃されているが、もっと一般に学問を究めることが憧れの対象であるべきで、またそれに応じた報酬が保障されなければならない。

 

博士卒を高待遇で迎え入れられないからと、採用を渋る企業を直接批判するのは間違っている。大学院重点化を押し進めたのは国だからだ。そこは国が博士を採用した企業に補助金を出すなりしてでも、博士卒が人材として手厚く迎え入れられて活用されるまでのライフサイクルを、責任をもって作り上げなければならなかった。

 

僕の同級生や先輩後輩の中には、学会で表彰されるような非常に優秀な修士課程の学生が何人かいた(残念ながら僕は違った)。しかし彼らは皆博士課程には進学しなかった。企業の開発職として就職していった。

 

曰く、「博士に進んでも結局就職した場合に給料はそこまで上がらない。それどころか就職の幅が狭くなる」「研究の道に進んでも生活が保障されない可能性があるから」「修士で就職したほうが金が良いから」などなど。

 

本来は彼らこそが博士課程に進むべき頭脳の持ち主であったのだ。現在の博士課程に進むには、もちろん優秀であることも必要条件ではあるのだが、家が裕福などで生活に不安が無いことが暗黙の条件になっている(或いは本人が向こう見ずな場合もあるが)。

 

博士に進んだところで努力と学問への貢献に見合った高待遇どころか、生活の保障さえされないのだからこうなってしまうのも無理はない。

 

こんなことでこの国は本当に技術立国としてやっていけるのだろうか。ものづくり大国ニッポンなど、もう幻想なのではないだろうか。

 

僕たちの足元は、既に揺らいでいるのかもしれない。