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フェデラーが東京オリンピックに言及。新スポンサーのユニクロ、ニクイことするね!




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僕はテニス界のレジェンド、フェデラーの大ファンだ。

 

いつだか忘れてしまったが、「変わりたいと思えば、人は誰でも変わることができる」という彼の言葉を聞いて、もともと好きだったのが大好きになった。今思えばこの時、「選手としての彼」ではなく「人間としての彼」のファンになったのだ。

 

彼はこの言葉をそのまま体現したかのようなテニスキャリアを実際に歩んできた。そのキャリア、つまり彼の示した「変わりぶり」は僕たちに希望を与えてくれる。現在のまさに王者といった風格からはとても想像できないが、彼は20歳あたりまでむしろ感情的過ぎることで有名な選手だったのだ。

 

もちろんこのことだけではなく、テニス選手として高齢になっても戦い続ける彼の姿に、アグレッシブな彼のプレーに、僕たちテニスファンはいつも心を打たれている。

 

 

フェデラーが東京オリンピックに言及

語りだすと止まらないからこの程度にして、そんなフェデラーが東京オリンピックについて言及している記事があった。

 

以下の記事だ。

 

「フェデラーが東京オリンピックについて語る」|「海外ニュース」のニュース|テニスの速報・ニュースならテニスデイリー

 

「彼が東京オリンピックに出場するかどうか」は、常に日本のテニスファンの関心を集めている。しかしこの記事によれば、東京オリンピックについての彼の予定は完全に未定とのことである。むしろ消極的にさえ見える。

 

少し前になるが2018年7月のウィンブルドン、フェデラーはあの日本企業「ユニクロ」のロゴが入ったスポーツウェアを着て現れ、周囲を驚かせたのだった(彼はその前はナイキと契約していた)。テニスファンの間ではビッグニュースだった。

 

ユニクロが支払う契約金はなんと10年間で300億円とも言われる。

 

そこまでして彼と契約したユニクロが、「東京オリンピックに出場すること」を契約の条件としてフェデラー側に要求していたとしても、ごくごく自然なことに思える。むしろそれこそが契約の主目的ではないかと考える人も、2018年7月時点では少なくなかったと記憶している。

 

「選手ではなく、人間として選んだ」

だが…ユニクロは彼との契約にあたって東京オリンピックの話題には全く触れなかったというのだ。フェデラー曰く、ユニクロ側はこう告げたらしい。「選手ではなく、人間として選んだ」

 

つまりこういうことだ。「選手ではなく人間としてフェデラーを選んだのだから、東京オリンピックで彼が選手としてプレーしようがすまいが、ユニクロにとってそれは重要ではない。だから言及しなかった」

 

本当は重要でないわけがないのだ。

 

ユニクロのウェアを着た彼が東京でプレーしたら同じウェアは飛ぶように売れるだろう。ユニクロとしては彼が五輪に出場した方が儲かることは自明である。

 

それにもかかわらず、なんたる粋な計らいか。

 

もし五輪出場を強制されたならば、少なくとも彼はそこまで現役を続けなければならなくなる。下手をすると、晩節を汚すことにもなりかねない。

 

しかしこの契約内容によれば、彼が築き上げてきた伝説的なキャリアの幕引きのタイミングは、彼自身の意志に任せられていることになる。そして彼に多くの肉体的負担を強制することもない(五輪には出場条件がいくつかあるが、いずれも高齢のフェデラーにとって確実に大きな負担となる)。

 

そうして、一テニス選手という枠組みを超えた一人の人間としてのフェデラーに対し最大限の敬意を払った。ユニクロの高い精神性を示す契約内容だと言える。

 

確かにフェデラーとユニクロの契約内容が明らかになった時、たとえ彼が10年以内に引退したとしても契約金は満額支払われると報道されていた。これは選手としてのフェデラーではなく人間としてのフェデラーをこそユニクロが選んだことを、今思えば示していたわけだ。

 

ユニクロに共感

僕はこのユニクロの計らいに大いに共感する。

 

もちろん、日本でフェデラーの戦う選手としての姿(そして金メダル、すなわちゴールデンスラム達成)を見たいという気持ちが無いと言えば嘘になる。しかしそれ以上に、僕自身もフェデラーという一人の人間を尊敬しているのだ。そしてそんな人は他にも大勢いるだろうと信じる。

 

おそらくもうすぐそこに迫っているであろう彼の引退のことを思うと、気分が落ち込まざるを得ない部分もあった。しかし今回ユニクロが彼との契約で示した姿勢は、そんな僕を元気づけもした。「まだまだ王者ロジャー・フェデラーの生き様を見ることはできるのだ」