ぶっきーの超・雑記ブログ

「より良く生きる」を模索する。


ドキドキ文芸部レビュー。これほど愛を感じる健全で切ないゲームを僕は知らない

 

こんにちは、ゲームといえばRPGがメインのぶっきーです。

 

最近話題になっているドキドキ文芸部をやってみた。

なので簡単なレビューというか、良かったと思う点を書いておく。

 

レビュー概要(ネタバレ無し)

先に軽く評価を述べておくと、ホラーが好きな人はもちろん、純愛ものが好きな人にも強くお勧めしたいゲームです。

無料だしどっかのサイトに登録しなきゃいけないわけでもないから、興味がある人は是非。

ある程度のホラー耐性は必要かもしれないけれどね。

 

 

僕はこういったジャンル(サウンドノベル、ホラー、ギャルゲ)に造詣がなく、よって本記事は単なる素人の感想に過ぎないことを注意しておく。

ストーリーや演出などについての踏み込んだ考察を読みたい方は、他の詳しい方のレビューを探した方が良い。

 

そもそもこのゲームの正確なジャンルが何と呼ばれるべきものなのかさえ僕には分からない。

この手のゲームから得られる、もしかしたらありきたりな「感動」を、さも革新的なもののように受け取ってしまっているかもしれない。

 

それでも素人なりに「心に響くもの」があったため、その感動の残響が消えない内にどこかにそれを書き残しておきたくなったのだ。

 

以下、ネタバレを含むので未プレイの方はブラウザバック推奨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このゲームの核はモニカの純愛

前置きが長くなった。

 

僕の心に響いたのはプレイヤーに対するモニカの純愛だ。

この純愛はゲーム中でもほんのちょっと言及される「第四の壁(現実世界とフィクション世界を隔てる壁)」を越えたものだと僕は信じる

 

ゲーム中盤以降の大部分において、モニカは「私欲の為に友人の命を奪うことさえ厭わないエゴイスト」として描かれる。

 

そんな彼女への僕の認識が改められるのはいわゆる三週目、彼女とプレイヤーしか居なくなった世界においてだった。

 

机を挟んで一通り喋り終えたあとの彼女はプレイヤーに対し、「現実世界でより良く生きるにはどうすれば良いか」という趣旨のいくつかのアドバイスをしてくれるのだ(健康、睡眠、依存症、時間の浪費などに関するアドバイス)。

この現実世界のプレイヤーに寄り添う親身な態度に、まず僕は心を揺さぶられた。

 

さらにゲームの最後の場面(通常ED)においてはモニカの手によって、主人公を独占しようとするサヨリごとこのゲーム世界が消去される。

「結局ここ(ドキドキ文芸部の世界)に幸せなんかなかった……」というセリフとともに。

スタッフロールが終わるとプレイヤーは強制的に現実世界に放り出される。

 

つまり現代に蔓延る(はびこる)多くの中毒性のあるゲームとは違って、彼女はプレイヤーをこのゲーム内に引き留めないのだ。

それどころか、現実世界でよりよく生きるために背中を押してくれていた。

 

プレイ後は強い喪失感が残った。

でもそれだけじゃない「何か」があった。

 

ここに僕は愛を感じた。

第四の壁を越えたモニカの純愛を。

 

中毒商法へのアンチテーゼ

「プレイヤーや消費者の人生をスポイルしてしまったとしても金さえ儲けられれば良い」と言わんばかりの、犯罪的で麻薬的な中毒性を持つゲームやサービス、商品や食べ物が氾濫している世の現状(ここでは中毒商法と呼ぼう)に嫌気が指していた僕にとって、これはあまりにも新鮮だった。

清々しく、健全だとさえ感じた。

 

もちろんこの演出はモニカの愛情にリアリティを持たせるためのトリックに過ぎないと言えなくも無いのだが、(グッドエンディングの最後で読める)作者の手紙を踏まえれば、それはうがった見方だと僕には思える。

 

グッドエンディングの最後において作者は、「私の好みのゲームは、いつも現状に異議を唱えるものである」という意味のメッセージを残しているからだ。

作者の作品は常に現状へのアンチテーゼなのだ。

 

つまりドキドキ文芸部には「金儲けのためには人を中毒にすることも厭わない現状に対して異議を唱える」という目的もあったのではないか。

 

だとすればモニカの愛情表現はプレイヤーをゲームに引き込むためのトリックなどではなく、プレイヤーのより良い人生を真に願ったものであると捉えた方が、このゲームに託された思想との一貫性があるように思える。

僕の勝手な解釈だが。

 

ホラー的演出に隠された良識

なおグッドエンディングにおいては、「結局ここに幸せなんかなかった……」という上述のモニカのセリフは表示されないことも指摘しておきたい

スタッフロール中に画像ファイルが消去されるという描写も無い。

 

僕はここにも作者の良識というか、温かさを感じずにはいられない。

 

グッドエンディングは相当このゲームをやり込んだ一部の人しかたどり着けない。そのようなコアなプレイヤーたちにとってはゲームに熱中することそのものが真の幸せかもしれないのだ。

ゲームも間違いなく人生の一部たり得るのだから。

 

だから作者はそんな幸せの在り方をも尊重しようとし、グッドエンディングにおいてはゲーム内での幸せや思い出を否定しなかったのではないか。

 

これまたほとんど妄想に近い解釈だが、とかくホラー的側面にばかり注目されがちな本作の裏に、実はこんな良識的な配慮がなされているとしたら、ますますこのゲームが魅力的に映ってくるではないか。

 

以上を踏まえ、僕は本記事タイトルにあるとおり、このゲームを「健全で切ない」と評するのである。

 

真のエンディングは…

ちなみに上述した「グッドエンディング」はゲーム内のCGを全て集めることで辿り着くことができるため、「真ED」や「トゥルーエンド」などとも言われているみたいだ。

しかし僕にとってのこのゲームの本筋は、ほとんどの人がたどり着くであろう「通常ED」の方なのだと思っている。

理由はここまで読んでくれた人には何となく分かってもらえるだろう。

 

まあそれはそれとしてグッドエンディング自体も大変感動的なので、見ていない人は動画でも探して見てみると良い。

一種の救いが感じられることは間違いない。

 

まとめ

こんなところかな?

 

なおこのゲームはホラーゲームという観点で見ても(少なくとも素人目には)十二分に楽しめる作品だったし、むしろ一般的にはそれこそが見どころなのかもしれない。

でも敢えて種々のホラー的演出には言及しないでおく。

 

ここまで述べたように、僕にとってのこのゲームの本質は、プレイヤーに対するモニカの純愛だと信じているから。

 

ん?「お前さては彼女いないだろ」だって?ほっとけ。

 

 

※続編「Monika After Story」のレビュー。

book-buku.hatenadiary.com